日本初の人体模型はどんなものだったのか?

第1話 日本で初めての人体模型

人体模型はいつ頃から日本で使用されていたのでしょうか。当時の人体模型は人間の骨格や臓器を忠実に再現することは出来ていたのでしょうか。日本における解剖の歴史などもひも解きながら当時の人体模型を見ていきたいと思います。

西暦1600年の江戸初期、紀州藩の藩医であった岩田道雪が日本において初の人体模型を製作したと言われています。
岩田道雪が制作したその人体模型は木製の胴人形と呼ばれるものでした。
その原型は南北朝時代(1378年)の医師であった竹田昌慶(Takeda Shokei)が明の王室から銅人形(中国では胴人形ではなく銅人形)の模型像を貰い受けたものとされています。
全長80cmで上塗りは白漆喰で仕上げられていました。
この胴人形は、胴内が空洞であり、そこには簡易の内臓模型が、頭部と四肢には水銀が充填された革袋が収められていました。
さらに体表には鍼灸治療における経絡(けいらく)や経穴(けいけつ)説に基づき、365の小孔が穿(うが)たれていました。
胴人形は、鍼灸治療の教育ために制作された日本初の人体模型であったと言われています。

その後、日本に西洋医学が入ってくると共に、様々な人体模型が出てきました。

・・・第2話 「西洋医学と人体模型」に続く

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